大正期

日本

大正時代における福祉の歴史についてここではお話ししていこうと思います。
明治時代に救済活動の重要さ、必要性が広く説かれるようになったのはご説明しましたが、大正期になると新たな動きも出てきます。

近代化が進む中で、福祉活動にどのような変化がもたらされたのか、という部分について焦点を当ててみたいと思います。

戦勝国となった日本

この時代に勃発した第一次世界大戦において、日本は参戦し戦勝国となりました。
これは紛れもない事実であり、学校の教科書にも載っているので日本国民なら誰もが知りえていることでしょう。

世界的な戦争に勝つことができた日本は勢いに乗り、近代化路線を歩むこととなります。
しかし、産業の振興を推し進めようとする政策により国民の生活は圧迫され、様々な弊害を招くことになりました。

不安定な生活を強いられるようになった国民は生活に困窮する者が増加し、都市労働者として働く多くの方は劣悪な労働環境のもと生活することを余儀なくされたのです。

そうした時期において、岡山県の済世顧問制度、大阪府の方面委員制度が創設され、現在の民生委員制度の前進として機能するようになりました。
全国各地で様々な福祉、救済活動を行い、救済を必要とする国民を支援していったのです。

この時代は戦争という過ちにより福祉が軽視されかけた時代でもあると言えるかもしれません。

社会事業へ

戦争に勝つことで更なる近代化を推し進めようとする日本でしたが、そのしわ寄せは国民が受けることとなりました。
めまぐるしく変わる社会情勢や労働問題が表面化する中、国の施策は救貧救助から防貧救助へと方針を転換することになります。

明治時代に設立された中央慈善協会は社会事業協会へと改称され、これまでの慈善事業は社会事業と呼ばれるようになりました。
この時期にも協会は様々な活動を続け、社会事業講習会を開催し、充実した内容の講習を行い従事者の知識向上を図ります。

また、関東大震災によって関東地方が大きなダメージを受けた際、社会事業協会の事務所も全焼してしまいますが、仮事務所を設けて積極的に活動を始めます。
被災状況について調査を開始すると共に、被害に遭った方の支援活動、全国から送られてきた支援物資の分配作業などを率先して行ったのです。

こうした協会の活動は高く評価され、この時の活躍によって多くの方が救われたのは言う間でもありません。

大正期における福祉活動は現在の活動と相当近いものになっているのが理解できると思います。
また、この時代は戦争や震災といった出来事によって日本が大きく変化している時代でもあります。
そうした時代の中にありながら、福祉、救済という崇高な精神を持ち続けて人々を助けてきた団体が存在したというのは賞賛に値するのではないでしょうか。

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